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2009年05月03日

訃報&やりきる

忌野清志郎さん(以後、「清志郎」と言う)死亡、あまりにも多くの人に悔やまれる死ではないだろうか。むしろ、どうせもう死んじゃったんだ、生き返ってきやしない、どうせならもっともっと多くの人に悔やんでもらいたい。

言うまでもない、RCサクセションのヴォーカリスト、清志郎についての説明は割愛する。検索すればネットは情報の宝庫だが、清志郎のバンドについて「自称パンクなバンドの数百倍パンクだ」と言うコメントが個人的には一番しっくりくる。

実際私自身、青春期をアメリカで過ごしたことを言い訳に、清志郎のファンだったことは一度も無かった。もちろん存在は知ってはいた。そんな私にとっての悔やみはもっともっと昔から(FM東京事件あたりから?)彼のファンになっておくべきだったことだ。

もっと昔から、もっとファンになっていたなら私の人生ももっと違っていたかもしれない、とまぁ、悔やみの中だけの話ではあるが、色々と青春時代も兼ねてフラッシュバックも起こるそんなタラレバな一時。心からご冥福お祈り申し上げます。

それでも清志郎は人生やりきっただろう(ここから徐々に別の話に入る@ハーフタイム)。まだまだやりたいことはあったかもしれないだろうけど、彼が今までやってきたことはどの瞬間で人生の終止符を打っても悔いの無いぐらいに1つ1つのことをやりきってきたと思う。ファンでもない私が言うのもなんだが。。。

と言うのも丁度そんなことをテーマにブログを書こうと思っていた矢先での訃報だった@後半スタート。

先日ある知人が「何をやっても飽きる」みたいなことを言っていた。

「それはねぇ、あんたが何をやっても中途半端だからだよ」と私は答えた。

気持ちが中途半端だから中途半端なところで飽きるんだと思う。加えて言うとそれは仕事についての話だったんだが、元々「仕事」は「楽しい」が根底にあって成り立っているモノではない。「人が必要としている」と言うのが根底にあり、そこには「辛さ」「難しさ」「面倒くささ」「汚さ」等、「楽しさ」の真逆の要素も沢山混じっている。

それでも仕事をやる上で「楽しさ」を感じ取れるきっかけの1つは「一所懸命やる」と言うところにあるんだと思う。何事もやりきればそれなりに楽しさは必ずあると思う。例えて言うと山の頂上に登りついたような楽しさかな。

もちろん「一所懸命やる」には「自分の意志で」が頭にあることが大前提だが。

実際彼の方が遅い時間まで仕事するタイプなので夜に強くない私に言われるのも心外かもしれない。只、1つだけ言わせてもらうと私は今やっている仕事も好きだし、全てのことには言い切れないにしても「何をやっても楽しめる」要素は彼よりは強いように思う。

決して自慢で言っているわけではない。むしろ、それが当たり前のように思ったりもする。昔もブログで書いたような気がするが、一見嫌だと思っている今の仕事も、一度手を止めてみて、一旦落ち着き、一歩下がったところから全体像を見直してみて、気持ちを切り替え、改めて、もっと好きになれるよう一所懸命取り組んでみるもんだと思う。

そうすることによって初めて次のステップ、次のステップへとステップアップしていく「前向き人生の扉」が開かれてきて、最終的には生涯の仕事となる天職に辿り着ける、と言うのが私の信念の一つでもある。

昔のブログ、検索したら見つかった(笑)。

余事の余談: 好きなことを仕事にする、もしくは今の仕事を好きになる

基本的にそんな考え方だな。

彼の場合、私よりも若いし、バイタリティーもある、良い要素も沢山あるんだから「心の持ちよう」で台無しにしたらあまりにも勿体無いように思う。

余談の余談だが、同じ会話の中で「楽しい会社ってないですかね?」と言う質問の返答に何社か名前を出したんだが、1社名前が出てこなかった。下記がその会社。

アドウェイズ本社、初訪問!

楽しい会社かどうかは一言も書いていないんだが、和風来客室は是非弊社もパクらせていただきたいと内心思うところ@未来に向けての覚書(笑)。

本日の一言:
どの瞬間に人生の終止符を打っても悔いの無いぐらいに1つ1つのことを一所懸命やりきる。



広ブロっち♪ d(^-^)

2009年04月14日

安曇野&百一姓

土日を利用して東京出張中だった妻と長野は安曇野へ。

写真がそれ、で、話はそのままタイトルの後者に入ることに。

元々私の人生、行き着くところは百姓として生活したいと考えているのだが、これは大いに誤解を招きかねない発言でもある。

と言うのもまず最初に言っておくが、農業をやりたいと言うわけではない。百姓=農業(職業)と思われがちかもしれないが私はそうは思っていない。畑はやりたいし田舎にも住んでみたい。しかし、都会を否定しているわけでは決してなく、また、百姓と言うのも元々我々日本人のご先祖様達の多くがかつては百姓であったように、つまりは色んなことを出来る人、そう言う意味での百姓になりたいと思っている。

この度宿泊したペンションの食事の食材がそこの畑で採れた無農薬野菜だったりするのだが、ペンションのマスターも同じようなことを言われていた。

「百姓と言うのは『何でも出来る』+『人』、英語で言うと『スーパーマン』だ!ハハハ」

そんなことを言う、ちょっと、と言うよりもかなりおどけた人だったが、更にそこのマスターが言われていたことで興味深かったのが「百一姓になる」と言うコンセプト。

百プラス一のことが出来る人、その一とは「ミッション」、とのこと。

つまり、百のことが出来、更に1つ、現代社会の中を生きる人としての存在意義、社会に貢献できるミッションを1つ随行することだ、とのこと。

ミッションとか存在意義、と言うテーマで長い話に逸れることは割愛するが、つまり、このコンセプトは私の胸にズド~ンと響いたわけだ。

私も「百姓」と言っていたから誤解を招いていたかもしれない(そもそも誤解を招くのであまり多くの人には言っていない)。「百一姓」と言う方が私の抱いているイメージにずっと近い。

現代社会から逃げるわけでは決してなく、むしろ、現代社会を生き、次の世代に繋げていく1人の人間の生き方として私は捉えている。

社会で起きている様々な暗い現象、それらを皆が皆、まるで他人事のように親の世代とか国や政府とか教育制度とかマスコミとか、「誰か」のせいにばかりする風習はそろそろ考え方の切り替えが必要ではないだろうか。

我々が気軽にほおばる100円バーガーも、ニュースに流れる心無き犯罪も社会現象であり、それぞれが、そして我々も、どこかで繋がっており、所詮は人間社会も自然界の中で展開され、良くも悪くも生命体の連鎖サイクルの中にしっかりとはまっているのだ。

原因があって結果がある。

大衆も社会もそもそもは個々の集合体、と言う原点から物事を見つめ直し、全ての社会現象を基本、我々1人1人が「自分の責任」と捉え、より良い社会の実現のためには自分に何が出来るのかを真剣に考えて行動に移す、そう言う意味で私の中で描いている答えの1つが百姓である、あ、百一姓だ。

そう言うことを100円バーガーを気軽にほおばりながら語り合っても別に構わないと私は思っている。神経質になる必要は無い。

ところで宿泊したペンションは「シャロム・ヒュッテ」と言う、その界隈(どの界隈?)では有名なところ(らしい)。

チェックイン前に寄ったカフェで携帯を置き忘れてしまい、翌日まで取りに行けなかったので残念ながら写真は撮れなかったが、今後の人生をどう生きていくかのヒントは沢山あったと思う(一言で言うと「パーマカルチャー」)。

人間が地球の上を生きている以上、そこでどうバランス良く生きていくのかを考えていくのは当然のことだと思っている。

そこには右翼も左翼も無いだろう。



広ブロっち♪ d(^-^)

2008年09月20日

豚に真珠と「敵に見つかったら逃げろ」

おかしなタイトルだ(笑)。

実話か作り話かはわからぬが、非常に興味深く思った話。

昔々、ほげほげな山奥にある忍者の仙人がいて、そこに忍者の見習い達が彼から教えを受けるために訪れるそうな。

ある忍者見習い、つまり素人、が来て弟子にしてもらうようお願いする。

仙人がその見習いに秘伝の虎の巻を渡す。

見習い、それを開いて見て一言「ふざけるな!」と怒鳴って仙人の元を去ったと言う。

そっか、そっか、仙人は次の見習いが来ても虎の巻は渡さず、ひたすら修行をさせること10年。

10年後、仙人は成長した一人前の忍者が旅立つ前にその虎の巻を渡す。

一人前の忍者、それを開いて読み始めるや、オイオイ泣き出したと言う。

1人は「ふざけるな!」と怒鳴り、1人はオイオイ泣き出した。

そこに何が書いてあったのか。

なんと1行目にはこう書いてあったそうだ。

「敵に見つかったら逃げろ」

現代の情報量と同様、沢山の技術を身につけても下手すればそれは逆に仇となりかねない。

忍びの際に、万が一敵に見つかった時、どうするのか、自分に託されたミッションをどう随行すればよいのか、その敵を攻撃するのか、それとも一旦どこかに隠れて身を潜めればいいのか、色々と迷いが生じるその瞬間が忍者の命取りになるかもしれない。

敵に見つかった=今回は失敗=何も考えずにとにかく逃げろ

これをまず頭に入れておく、建設現場の作業員にとっての命綱、投資家にとっての損切りの概念みたいなものだと思う(後者の例の方が的確かな)。

「敵に見つかったら逃げろ」と読んで「ふざけるな!」と怒鳴り、仙人の元を去った見習い、私の中にもそんな自分を見つけると同時に、それは現代社会全体の傾向ではないか、とも思ったりもする。

広島弁で言う「かばちたれ」。

「豚に真珠」、と言うことわざの由来は旧約聖書だそうだ。豚に真珠を投げても噛み付いてくるだけ。

何事にも「脱豚」の心得で(変な心得だ)日々の努力をひたすら怠らないのが今の自分のあるべき姿のように思う。



広ブロっち♪ d(^-^)

2008年06月10日

思い込み

私も思い込みの激しい方かもしれないが、例の秋葉原の事件は何とまぁ、思い込みが引き起こした大惨事だ。。。

彼は自分の作業服が無くなっていたのを自分がクビになったと勘違いし、同僚の服を滅茶苦茶にして無断帰宅、この事件をきっかけに殺人を決意したと言う。。。

同僚の嫌がらせだったのか、単なる勘違いだったのか、真相はまだ不明だが、作業服を処分すると言う方法で解雇を通知することは恐らくどこの会社でもやらないだろう。どちらにせよ彼の思い込みによって7人の尊い命が今日と言う日に目を覚ますことなく、この世から消え去ってしまった。。。

気まぐれな風が人の命をも左右する。。。

命の尊さと、それを軽視する軽々しさの狭間を人は行ったり来たりしているのか。。。

21世紀の日本の高度文明社会は人に豊かな想像力を与えながらも、豊か過ぎるがためにリアルとバーチャルの区別がつきにくくなっているのも事実ではないだろうか。

冒頭にも書いたように私も思い込みに左右される傾向がある。

事実と思い込みの区別をもっと認識すること。実際の現状、実態をしっかりと確認すること。

今後もっと気をつけようと思う。



広ブロっち♪ d(^-^)

2008年05月21日

東京とロングテール

東京に可能性を感じている。

東京は自分の生まれ故郷であり、今も生まれた家のすぐ隣りの空き家に間借りさせていただいているが、子供の頃から何度も来ているのに今回は不思議な感覚を覚えている。

何なんだろう、この気持ちは、と思っていたが、ふと今日の帰り道にヒットした。

そう、ロングテールと一緒だ。。。

なんだ、インターネットよりずっと前からあったんじゃん。。。

インターネットのことを語る時によく「ロングテール現象」の話が出てくる。

ロングテール現象とは、詳しくはググって(Googleで検索して)ほしいのだが、簡単に言うと従来の市場では需要が多いモノしか売れ筋ではない、と見なされていたのが、インターネットの多様性によって、需要の低いモノでも根強い需要があれば、つまり、ニッチなモノでもマニアがいればがそこそこ充分な売上を出すことが可能となり、それをグラフに描いてみると右に長い長い尾(=ロングテール)をひっぱるように多種にわたるニッチなモノの数々が市場の可能性を永遠と広げている現象のことを言う。

・・・簡単に言うと。

で、東京も一緒。ロングテール現象がここにはある。

ホントに何でも有りの街だと思う(「街」と呼ぶにはあまりにも大きすぎるが)。

インターネットと同様、良いモノ、悪いモノ、楽しいモノ、つまらないモノ、普通のモノ・・・、果てしなく何でも有る。

とにかく、人は沢山いる(笑)。

一千万なんて簡単に数字で言えるけど、実際はホント、どの角度から改めて見てみても想像に絶する数の人々がこの街には存在している。

果てしなく何でも有りの街、無限の可能性・・・、そう、以前からインターネットに抱いている気持ちと同じだ。。。

その無限の可能性を今、東京に対してジワジワと、水面下で感じている自分がいる。何か感じている、掴みきれていない何かを。。。

しかし、そこで一旦自分に水を差す。

そう言いながらもまだインターネットの可能性を充分どころか全く引き出しきれていない自分がいる。東京だって同じだろう。惚れた程度で(別に惚れちゃあいないけど;)フフっと笑い返されるだけさ。

こんにゃろ~~(笑)。

まぁ、いいとして。

可能性が広がるのはとてもいいことなんだが、一番肝心なのは足元と身の回りと日々の行動と結果と学びと方向性。場所は変われど日々がんばり続けなければいけないことは一向に変わらない。

それと、これもインターネットと同じだが、東京には無限の可能性を感じてはいるものの、自分がずっと居続ける場所だとは思ってはいない。力を注ぐべきなのは今だからであって、放っておいても流れ続ける川のような流れを作り上げることが出来れば別にそこまで依存するモノでもないと思っている。

東京も、インターネットも、居心地はいいんだが、本当の意味での豊かさや幸せはやっぱり田舎だったり、アナログにあったりするんだと、そう信じている自分がいる。決して東京とインターネットを否定しているわけでは一切ないが、そこにある種のバランスを見出している自分がいる。

西に向かいながらも東を想ふ、矛盾しているように思われがちかもしれないが、自分の中では理にかなっている。



広ブロっち♪ d(^-^)

2008年05月02日

どこに筋が通るのか

どこに筋が通っているのか、これはコンピュータでは計算出来ないのではないだろうか。

と言うのも、前回の投稿の続きにもなるが、それぞれのどこかに偏りのある観点から見える筋なので一つの物事を取って見てもどこに筋が通っているのかは人によって全然違うかもしれない。

せめて出来ることとしたら相手のことを最大限考慮するべきなんだと思う。相手の立場から見てどう見えるのか。前提として、人はそれぞれ基本的に自分中心に物事を考えているので。

無論、自分の都合ばかりで物事を通そうとすると争いも絶えないだろう。

筋とは、お互いの得と損のバランスが今だけではなく、過去、未来も含めて、関わっている人々や組織の間で出来る限り納得できるように配分されている道筋のこと。

と勝手に言ってみた。下手な日本語で恐縮だが。

とまぁ、私が筋の話をしたところで業界の底辺にいる限りは小指の上に乗せられてフッと一息で吹き飛ばされても不思議ではない、と言う虚しい事実はさておき。。。( ;´Д`)~~


For the loser now
Will be later to win
For the times they are a-changin'.
(今の敗者も明日には勝つさ
時間は常に変化し続けている)

Bob Dylan
"The Times They Are A-Changin'" より

社員はもちろんのこと、パートナーの方々からも日々助けていただきながら何とか頑張っていける今日この頃だと言うことを改めて気付かされる。

感謝の気持ちを忘れてはならない。

いつもありがとうございます。m(_ _)m



広ブロっち♪ d(^-^)

2008年04月20日

学びと偏り

人は生涯学び続けていくことのできる動物だと常々思っている。

確か故マイルス・デイビスも言っていたかな、そんなこと。

生涯学び続けていくことができる、と言うことを裏返して言うと学んでも学んでも学び足りてない、と言うこと。

と言うことは文明と言うのは、まぁ、もっと小さく言ってもいい、日々の生活の中で携わっているコミュニティの生活、と言うのはつまりは言うと学び足りてない、どこかに偏りのある人々の集まりなんだ。

もちろん、自分もその1人である。

それはテレビのスタジオでも、国会でも、mixiコミュでも、会社でも、学校でも、どこでも言えることだ。

自分にとっての秩序も相手にとっては偏りにもなりかねない。自分が絶対に正しいと思っていたことに後から偏りがあったのに気付くことだって誰にでもあることだろう。

そして、近年の情報量はもはや無限とも言え、人はそれぞれの立ち居地から自分に心地の良い、悪く言えば都合の良い情報、価値観、やり方、生き方、考え方を集めて自らを装い、アイデンティティを構築し、それを自らの理屈で正と見なすことが可能である。

もちろん、自分もその1人である。

もはやロングテール現象はインターネットだけでなく、ヒューマン・アイデンティティにも言えることではないかとも思う。

民主主義と資本主義の行き着いたところに今がある、にぎやかなもんだ。

さて、ここからが問題だ。

そんな人々の集まりをどうまとめれば良いのか?

これも人それぞれ答えが異なるのかもしれないが、私個人の考えとしては、どうせならこのまま民主主義と資本主義をとことん追求していこう、と思っている。

経営者としても、自由な環境の中でそれぞれがそれぞれのペースで成長していくことを信じ、そんな環境を提供していきたいと思う。

つまり、にぎやかな広場の責任者になることである。

「にぎやかな広場の責任者」、と言うと「ライ麦畑でつかまえて」の主人公の言っていたことに似ていることに気付く次第。。。

思春期をアメリカで過ごしたことが私の哲学にも大きな影響を与えているかもしれない。

この方針は、これはこれで結構楽しませていただいているのだが、実際のところは現実と理想とのギャップに悩まされていることが少なくないことも事実ではある。

このギャップをどうすればもっと縮めれるのか、それともやり方をガラリと変えるべきなのか。

色々と考えさせられている。



広ブロっち♪ d(^-^)

2008年02月14日

原因は自分にある

問題がある時、原因は自分にある、そう思って取り掛かる方がよっぽど有益だと思う。

逆に人や物事のせいにばかりして言い訳をつらねて、それではたして解決に繋がるのか???

一時的なストレス発散に過ぎず、自分の気付かないところで傷口を広げている可能性も大いにある。


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自分から変わっていくことは簡単なことでは決してないかもしれない。

しかし

人や物事を変えるよりはよっぽど簡単だ。

愚痴ばかり言っていたら目の前に展開する日常も鏡のようにそれに応じた反応をする。

そもそも今は今までが築き上げてきた集合体。中間報告書みたいなモノだ。

良かれ悪かれ自分の日頃の些細な言動が相手の態度にも少なからずの影響を与えている。

まぁ、厳密に言えば結局はキャッチボールなんで双方に改善の余地があるんだとは思う。

しかしその「双方」と言う当初の理解もふと気付くといつの間にか「あいつが」に変わってたりしないだろうか?人間、デフォルトで自分には甘く、自己防衛に走りがちな動物だ。そりゃ戦争も絶えないさ。


どこに行っても「あいつが」と言っているとどこに行っても同じような中間報告書が渡されるだけ。


そして

どこに行っても必ず付きまとうヤツ

それはやっぱり

自分

原因は自分にある、そう思って取り掛かる方がよっぽど有益だと思う。


=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*


どん底にいる時に効く特効薬、私は1つしか知らない。

「ありがとう」と言う言葉。


「ありがとう」を果たしなく言い続けていたら解決の手口も必ず見えてくる。


空気が無いと生きていけない


しかし


空気にいつも感謝しているのか?


感謝してる?


感謝する余地がある限り

改善の余地もあるはずだ。


どん底にいる時に効く特効薬


私は1つしか知らない。



広ブロっち♪ d(^-^)

2007年07月28日

好きなことを仕事にする、もしくは今の仕事を好きになる

息抜きに昔の日記を読んでいたら頭がすっかりブログモードに。。。まぁ、ダジャレモードよりはマシか。。。(失笑;)

昔、ある有名コンサルタントが「ウチのスタッフの1人はメチャメチャ働き者で仕事を休む日は年に10日ぐらいしかない」と何百人もの前で言っていた。

聞いている人は皆驚いているようだったが私は内心「勝った」と思った。

と言うのも私の妻(当時は彼女)は実際に数えてはいないけれど年に10日も休んでいないと思う。定休日も出勤しているのが普通だし、大型連休もフルに休むどころか殆ど仕事に出ている。ちなみにそれは今も変わらず、唯一、帰宅時間が以前は深夜12時が普通だったのが今は9~10時ぐらいになったことぐらい。

改めて何故そんなに毎日働けるのだろうと考えてみるとやはりそれは他ならぬ、仕事が好きだからだろう。注文住宅のプランナーとしてお客様の夢のマイホーム造りの手伝いをする、と言う仕事は彼女にとっての生きがいのようだ。

と思いながら、ふと気付く。妻にはかなわないかもしれないがオレも結構そうじゃん。仕事、殆ど休まないし、そもそも好きだから苦にならない。もちろん、上手くいってない時は苦かもしれないが、問題を乗り越えた時の喜びがバランスを取ってくれるし、元々好きな仕事だから苦と言っても嫌で嫌でしょうがない、と言うわけではない。

只、自分の場合、いつからそうなったんだろう。。。

と言うのも数年前から仲良くさせていただいている一級建築家八納啓造氏に昔から「大好きなことを仕事にする」と言われていたことに対して

「もちろんそれは理想、でもそれは運がいい場合であって、大好きなことを仕事にできない場合の方が多い」

と思っていたことを思い出す。

当時は仕事が好きじゃなかったのかな。。。

では今はどう思うのか。

それが今回の件名、「好きなことを仕事にする、もしくは今の仕事を好きになる」だ。

これは私独自のセオリーではなく、京セラ名誉会長、KDDI最高顧問の稲盛和夫氏が言われていたこを継承している。

ググったら下記本人のブログ記事がすぐ出てきたが、私が以前影響を受けた内容とは微妙に違うかな。

仕事を好きになる

この記事の更なる根底みたいなところだったと認識しているが、つまり、好きじゃない仕事でもその仕事の中に「好き」と言う要素を見つけていくこと、と言うことについての記述が何点かあって、プラス上記の記事に書いているようなことが書いてあったと記憶している。

当時何が嫌いだったのかも覚えていないが、稲盛氏のその時の言葉が胸に響いたのと、その言葉を聞いた後、じゃあすぐに仕事を好きになれたか、と言うとそうではなかったことは覚えている。

ただ、好きになろうとは心掛けた。その後の細かな経緯は覚えていないが、ふと気がつくと、素直に仕事が好きだと思える自分が今ここにいる。

そこで、振り返って分析してみて、そう心掛けていくことで幾つか変化したことがあったことに気付く。

・ベクトルが変わった
 それまでは逃げの姿勢だったのが向き合う姿勢になった

・色んな角度から仕事を観察し、分析するようになった
 そもそも当たり前のことかもしれないが、仕事が嫌な状態だと
 固定概念で仕事を捉える傾向がそれまであった

・もっと工夫するようになった
 好きになろうと心掛けることでもっと積極的に取り組み、
 仕事の仕方も工夫するようになった

今思いつくところはそんなところ。改めて考えてみると当たり前のことのようだが、つまり、仕事を好きになろうと心掛けるようになってからそれまで以上に一所懸命仕事するようになったんだと思う。

しかし、それはそれでいいことだが、もちろんそれを他人に押し付けるわけにはいかない。

結局行き着くところはいつもの結論で、他人と過去は変えれない、変えれるのは自分と未来、と言うこと。

パンチが足りない結論だが以上。



広ブロっち♪ d(^-^)

2007年01月11日

出来る!!

そう思うこと
そう信じること
そう行うこと

そして・・・

そう知ること

この繰り返し繰り返しのスパイラルを

沢山沢山回していく

目の前に立ちはだかる障害

思っているだけではダメだ

そりゃ打ちのめされるよ

いつものごとく(笑;)

でもね

それらを最後の最後までくぐり抜けていく力が

知恵でもなく

技術でもなく

只々、単純に

「出来る」と思い、信じ、行い続けていたこと

そんな時だってあるんだ

知ってる人は知っている(笑)

知恵も大事

技術も大事

でもね

出来る!!

そう思うこと
そう信じること
そう行うこと

そして・・・

そう知ること

この繰り返し繰り返しのスパイラルを

沢山沢山回していく


ジョギング再開2日目にしてふと思ったこと



広ブロっち♪ d(^-^)

2006年11月21日

人と文明

20年近く前にある本で読んだ話、未だに忘れることが出来ない。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年11月16日

初めに言葉ありき

「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった」

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年11月15日

いじめと教育問題

いじめや教育問題を取り上げた6時間にわたる生放送、「たけしの日本教育白書 2006」。録画してあるので夜少しずつ見ている(テープを巻き戻し忘れて録画したので半分程しか撮れてないが、orz;)。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年09月01日

最近の犯罪

昨日の投稿内容を消してしまった関係で今日も何か書かなければいけないプレッシャーを自分の中で感じている。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年06月23日

すみやかに認めるのだ(笑)

ワールドカップ対ブラジル戦観て、終わってから二度寝して、
寝坊して会社に遅れた、もしくは遅れそうになった人。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年06月09日

全ての中心となる軸

ジェイムス・スキナー氏が言う「違いをもたらす違い」のこと。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年05月30日

10年後の自分

10年後の自分をイメージしてみる。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年05月29日

なんだかんだ言ってツイてる

「うまくいったら、運がよかったと思え。うまくいかなかったら、自分が悪いと思え」(松下幸之助)

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年04月27日

時代は便利を超えている

そう言えば、ふと子供の頃「どらえもん」を読んでいたことを思い出す。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年04月26日

時が過ぎるのはいつも速い。。。

てか、4月末なのに寒いぞ~~

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年04月05日

縁には円が伴い

縁には円が伴い、そこに筋が通っていれば園となり、宴となる。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年03月30日

道具が先走った

比べてはいけないかもしれないが、実はボクは昔から基本的に女性の方が男性よりエラいと思っていたりする。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年03月16日

現実は化けることがある

先日の急成長の話と矛盾しているように思われるかもしれないが、現実は化けることがある。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年02月28日

時間の投資

投資にはお金の投資、時間の投資、その他、まぁ、色々あるかもしれないが、どんな形の投資もその局面局面で重要なんだと思う。

今の自分にとって言えば「時間の投資」と言うのが一番重要のように感じている。

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広ブロっち♪ d(^-^)

2006年02月27日

メンタルトレーニング

この度公式ブログをリニューアルすることにしました。古い方もそれなりに自分は気に入っているので、しばらくは残す予定ですが、お気に入り、及びブックマークの変更の方、お願いいたします(入れてないって?!)。

さて、本日のトピック、今回のトリノオリンピック女子フィギュアスケートを見て感じたことです。

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広ブロっち♪ d(^-^)