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安曇野&百一姓

土日を利用して東京出張中だった妻と長野は安曇野へ。

写真がそれ、で、話はそのままタイトルの後者に入ることに。

元々私の人生、行き着くところは百姓として生活したいと考えているのだが、これは大いに誤解を招きかねない発言でもある。

と言うのもまず最初に言っておくが、農業をやりたいと言うわけではない。百姓=農業(職業)と思われがちかもしれないが私はそうは思っていない。畑はやりたいし田舎にも住んでみたい。しかし、都会を否定しているわけでは決してなく、また、百姓と言うのも元々我々日本人のご先祖様達の多くがかつては百姓であったように、つまりは色んなことを出来る人、そう言う意味での百姓になりたいと思っている。

この度宿泊したペンションの食事の食材がそこの畑で採れた無農薬野菜だったりするのだが、ペンションのマスターも同じようなことを言われていた。

「百姓と言うのは『何でも出来る』+『人』、英語で言うと『スーパーマン』だ!ハハハ」

そんなことを言う、ちょっと、と言うよりもかなりおどけた人だったが、更にそこのマスターが言われていたことで興味深かったのが「百一姓になる」と言うコンセプト。

百プラス一のことが出来る人、その一とは「ミッション」、とのこと。

つまり、百のことが出来、更に1つ、現代社会の中を生きる人としての存在意義、社会に貢献できるミッションを1つ随行することだ、とのこと。

ミッションとか存在意義、と言うテーマで長い話に逸れることは割愛するが、つまり、このコンセプトは私の胸にズド~ンと響いたわけだ。

私も「百姓」と言っていたから誤解を招いていたかもしれない(そもそも誤解を招くのであまり多くの人には言っていない)。「百一姓」と言う方が私の抱いているイメージにずっと近い。

現代社会から逃げるわけでは決してなく、むしろ、現代社会を生き、次の世代に繋げていく1人の人間の生き方として私は捉えている。

社会で起きている様々な暗い現象、それらを皆が皆、まるで他人事のように親の世代とか国や政府とか教育制度とかマスコミとか、「誰か」のせいにばかりする風習はそろそろ考え方の切り替えが必要ではないだろうか。

我々が気軽にほおばる100円バーガーも、ニュースに流れる心無き犯罪も社会現象であり、それぞれが、そして我々も、どこかで繋がっており、所詮は人間社会も自然界の中で展開され、良くも悪くも生命体の連鎖サイクルの中にしっかりとはまっているのだ。

原因があって結果がある。

大衆も社会もそもそもは個々の集合体、と言う原点から物事を見つめ直し、全ての社会現象を基本、我々1人1人が「自分の責任」と捉え、より良い社会の実現のためには自分に何が出来るのかを真剣に考えて行動に移す、そう言う意味で私の中で描いている答えの1つが百姓である、あ、百一姓だ。

そう言うことを100円バーガーを気軽にほおばりながら語り合っても別に構わないと私は思っている。神経質になる必要は無い。

ところで宿泊したペンションは「シャロム・ヒュッテ」と言う、その界隈(どの界隈?)では有名なところ(らしい)。

チェックイン前に寄ったカフェで携帯を置き忘れてしまい、翌日まで取りに行けなかったので残念ながら写真は撮れなかったが、今後の人生をどう生きていくかのヒントは沢山あったと思う(一言で言うと「パーマカルチャー」)。

人間が地球の上を生きている以上、そこでどうバランス良く生きていくのかを考えていくのは当然のことだと思っている。

そこには右翼も左翼も無いだろう。



広ブロっち♪ d(^-^)

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