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人と文明

20年近く前にある本で読んだ話、未だに忘れることが出来ない。

ある文明国領土内の山奥に存在する先住民の村に町から道路を繋げようと言う話になった。村の長老達は大反対したそうだ。

理由は簡単、「文明が入ってくるから」。

当時、自分はいかに環境に優しく生きるのか、と言うことをスゴく考えていた。ネイティブインディアンの教えに共鳴を覚えたり、自分ではどうすることも出来ない近代文明が抱える環境問題等について深く悩みこんだり。。。

今でもそんなところは多少あるかもしれないが、その話を読んでからかなり割り切るようになったと思う。

その話を読んで衝撃的なことに気付いたのだ。

文明からかけ離れた所でひっそりと質素な生活を人知れず暮らすことが一番環境にとって優しい、と言うことを。

もっと言えばそもそもこの世に存在しないことが一番環境に優しいということ。

道路の話は彼ら先住民の問題だが、自分の場合、既に文明の中に生まれ、文明の中に育っている。

近代文明に生まれ育った人間は生まれながらして環境汚染する生き物、と言うことになる。。。

自然から見れば人間は生まれながらして邪魔?みたいな。。。

なら、もし神さまがいるとしたら、神さまから見て文明は「悪」なのか。

ボクはそうは思わない。

文明は「課題」なんだと思う。そして、課題は乗り超えるためにある(きっぱり/笑)。

そこらへんがオウムやポルポトが暴走した分岐点のようにも思う。

文明を否定しても、文明はまた生まれる、人間がこの世に存在する限り。

20代の頃は今で言うLOHASな人達と共に過ごす日々がとにかく多かった。

山奥に住むある陶芸家の家で電気の無い生活を数ヶ月させていただいたこともある。ボクのような文明人にとっては冒頭の先住民の生活に一番近いと言ってもいいような生活だった。

台所の水道の蛇口からは山から流れる天然水がまるで人口の川を作るかのように24時間勢い良く流れ続けていた。

しかし、

その少数で形成されたコミュニティにも結局また独特な形で人間社会が存在する。

「人」と言う動物の持つ陽の性質と陰の性質がまたそこに共存し合っているのだ。

だからどうのって、やっぱり心の持ち様のように思う。

肯定するってことは、時と場合と、それぞれの立場によっては恐ろしく勇気のいることかもしれない。

しかし、いかなる改善も肯定から入ることが一番効果的な突破口ではないかと思う自分がいる。

「肯定」と「甘え」がつい混合してしまいがちなことには注意が必要かもしれないが。。。

あまり注意していないかもしれない自分がいるかもしれないが。。。(汗笑;)

まぁ、重要なのはこれから未来を切り開いていく自分に何が出来るのか、のように思う。

変えれるのは自分と未来だけだ。



広ブロっち♪ d(^-^)

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コメント

しかしレイクン
凄い人生歩んでいるのですね。
プチ修行僧の経験なんかも
あったりして。

>わさん

コメントありがとうございます。

> しかしレイクン
> 凄い人生歩んでいるのですね。
> プチ修行僧の経験なんかも
> あったりして。

無いとは断言出来ない(笑)。

無いに等しいですけど。。。

ヘンテコリンな人生生きてますよ(笑)。

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