初めに言葉ありき
「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった」
新約聖書のヨハネによる福音書第一章一節の言葉(らしい)。
私はクリスチャンではないが、少なくともこの言葉には深い共感を覚える。
日本文化で言うと言霊(ことだま)のことと一緒だ、言葉には魂が宿る、と言う考え。
あまりにもこだわり過ぎて1つ1つの言葉に過剰にとらわれるのも逆にいかがかとは思う。冗談を言い合うことによって場もなごむし、バランス感覚は常に大切だ。
が
些細な言葉が人の運命に大きな影響を与えかねない。
例えば「死ね」と一回言うのは1枚の紙切れの厚さ程度の影響ぐらいしかないかもしれない。
しかし、その言葉を何回も何回も繰り返し言い続けたら・・・、1枚ずつの紙切れも徐々に結構分厚い束になっていく。
そして脳にはその都度、その響きとその意味が振動して伝わっていく。
潜在意識はエサのようにその言葉を吸収していく。
潜在意識がその言葉を聞き慣れ過ぎてしまい、脳内デスクトップの背景画像に設定してしまった日には日常の生活の中でも無意識にその現実を自ら探して行くこととなるだろう、自己洗脳状態。
つまり、結果から言うと、言葉が現実を招きよせるのだ。
無論、その逆、プラスの言葉も同じ。プラスの言葉の復唱はプラスの現実を無意識に引き寄せて行くこととなる、これ正に自己啓発哲学の真髄とも言える。
まぁ、そんな話を今日知人としていたのだが、その時聞いた事例。
「運転気をつけてね」
私と妻との間のメールや口頭でそう言い合う習慣があるが、これはいいらしい。日常の中の些細な祈りである。
良くない例は
「事故には気をつけてね」
らしい。統計上、後者を言い合う環境の方の事故率は前者より高いとのこと。
つまり、「事故」と言い続けることによって脳は無意識に事故を招き寄せてしまう、とのことだ。
自分はその話を聞いて充分納得している。
過去にも紹介したような気がしなくもないが、下記、知人のブログにて凄い実験結果の写真が紹介されている(つか、自分もしっかりコメント入れてるし・・・/笑;)。
結論を言うと
自らが発する言葉にはもっと意識を持っておこう
と言うこと。ほどほどに、少しずつでも良いと思う。
「ありがとう」、「いただきます」、「ごちそうさまでした」、チリも積もれば山となる。
私自身が経営者として、一個人として、もっと気をつけていかなければいけないことでもある(汗;)、と同時に全ての人にも共通して言えることだとも思う。
国民レベルでこういうところにチューニング・イン出来ればこの国ももっと良くなるはずだ。
あなた(このコンテキストでは私も含む)を中心とした
あなたを取り囲む生活・人生・世界も同じく。
少なくとも私はそう確信している。
広ブロっち♪ d(^-^)