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2006年11月21日

人と文明

20年近く前にある本で読んだ話、未だに忘れることが出来ない。

ある文明国領土内の山奥に存在する先住民の村に町から道路を繋げようと言う話になった。村の長老達は大反対したそうだ。

理由は簡単、「文明が入ってくるから」。

当時、自分はいかに環境に優しく生きるのか、と言うことをスゴく考えていた。ネイティブインディアンの教えに共鳴を覚えたり、自分ではどうすることも出来ない近代文明が抱える環境問題等について深く悩みこんだり。。。

今でもそんなところは多少あるかもしれないが、その話を読んでからかなり割り切るようになったと思う。

その話を読んで衝撃的なことに気付いたのだ。

文明からかけ離れた所でひっそりと質素な生活を人知れず暮らすことが一番環境にとって優しい、と言うことを。

もっと言えばそもそもこの世に存在しないことが一番環境に優しいということ。

道路の話は彼ら先住民の問題だが、自分の場合、既に文明の中に生まれ、文明の中に育っている。

近代文明に生まれ育った人間は生まれながらして環境汚染する生き物、と言うことになる。。。

自然から見れば人間は生まれながらして邪魔?みたいな。。。

なら、もし神さまがいるとしたら、神さまから見て文明は「悪」なのか。

ボクはそうは思わない。

文明は「課題」なんだと思う。そして、課題は乗り超えるためにある(きっぱり/笑)。

そこらへんがオウムやポルポトが暴走した分岐点のようにも思う。

文明を否定しても、文明はまた生まれる、人間がこの世に存在する限り。

20代の頃は今で言うLOHASな人達と共に過ごす日々がとにかく多かった。

山奥に住むある陶芸家の家で電気の無い生活を数ヶ月させていただいたこともある。ボクのような文明人にとっては冒頭の先住民の生活に一番近いと言ってもいいような生活だった。

台所の水道の蛇口からは山から流れる天然水がまるで人口の川を作るかのように24時間勢い良く流れ続けていた。

しかし、

その少数で形成されたコミュニティにも結局また独特な形で人間社会が存在する。

「人」と言う動物の持つ陽の性質と陰の性質がまたそこに共存し合っているのだ。

だからどうのって、やっぱり心の持ち様のように思う。

肯定するってことは、時と場合と、それぞれの立場によっては恐ろしく勇気のいることかもしれない。

しかし、いかなる改善も肯定から入ることが一番効果的な突破口ではないかと思う自分がいる。

「肯定」と「甘え」がつい混合してしまいがちなことには注意が必要かもしれないが。。。

あまり注意していないかもしれない自分がいるかもしれないが。。。(汗笑;)

まぁ、重要なのはこれから未来を切り開いていく自分に何が出来るのか、のように思う。

変えれるのは自分と未来だけだ。



広ブロっち♪ d(^-^)

2006年11月16日

初めに言葉ありき

「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった」

新約聖書のヨハネによる福音書第一章一節の言葉(らしい)。

私はクリスチャンではないが、少なくともこの言葉には深い共感を覚える。

日本文化で言うと言霊(ことだま)のことと一緒だ、言葉には魂が宿る、と言う考え。

あまりにもこだわり過ぎて1つ1つの言葉に過剰にとらわれるのも逆にいかがかとは思う。冗談を言い合うことによって場もなごむし、バランス感覚は常に大切だ。

些細な言葉が人の運命に大きな影響を与えかねない。

例えば「死ね」と一回言うのは1枚の紙切れの厚さ程度の影響ぐらいしかないかもしれない。

しかし、その言葉を何回も何回も繰り返し言い続けたら・・・、1枚ずつの紙切れも徐々に結構分厚い束になっていく。

そして脳にはその都度、その響きとその意味が振動して伝わっていく。

潜在意識はエサのようにその言葉を吸収していく。

潜在意識がその言葉を聞き慣れ過ぎてしまい、脳内デスクトップの背景画像に設定してしまった日には日常の生活の中でも無意識にその現実を自ら探して行くこととなるだろう、自己洗脳状態。

つまり、結果から言うと、言葉が現実を招きよせるのだ。

無論、その逆、プラスの言葉も同じ。プラスの言葉の復唱はプラスの現実を無意識に引き寄せて行くこととなる、これ正に自己啓発哲学の真髄とも言える。

まぁ、そんな話を今日知人としていたのだが、その時聞いた事例。

「運転気をつけてね」

私と妻との間のメールや口頭でそう言い合う習慣があるが、これはいいらしい。日常の中の些細な祈りである。

良くない例は

「事故には気をつけてね」

らしい。統計上、後者を言い合う環境の方の事故率は前者より高いとのこと。

つまり、「事故」と言い続けることによって脳は無意識に事故を招き寄せてしまう、とのことだ。

自分はその話を聞いて充分納得している。

過去にも紹介したような気がしなくもないが、下記、知人のブログにて凄い実験結果の写真が紹介されている(つか、自分もしっかりコメント入れてるし・・・/笑;)。

”コトダマ”実験中!

結論を言うと

自らが発する言葉にはもっと意識を持っておこう

と言うこと。ほどほどに、少しずつでも良いと思う。

「ありがとう」、「いただきます」、「ごちそうさまでした」、チリも積もれば山となる。

私自身が経営者として、一個人として、もっと気をつけていかなければいけないことでもある(汗;)、と同時に全ての人にも共通して言えることだとも思う。

国民レベルでこういうところにチューニング・イン出来ればこの国ももっと良くなるはずだ。

あなた(このコンテキストでは私も含む)を中心とした

あなたを取り囲む生活・人生・世界も同じく。

少なくとも私はそう確信している。



広ブロっち♪ d(^-^)

2006年11月15日

いじめと教育問題

いじめや教育問題を取り上げた6時間にわたる生放送、「たけしの日本教育白書 2006」。録画してあるので夜少しずつ見ている(テープを巻き戻し忘れて録画したので半分程しか撮れてないが、orz;)。

まだ最初の1時間弱ぐらいしか見てないが、正直カルチャーショックに近い衝撃を受けている。

子供達を集めた討論でも数名の子供が「死にたいなら死んで生まれ変われば?」なんて平気な顔で言っている始末。

「社会に出ていない先生達」みたいに問題視されているのをたまに耳にするが、何言ってるんだ、教室、と言う職場、あれはあれでれっきとした社会だ。

子供達が社会に出てからどうのこうのなんて付録に過ぎない、そんなことどちらにしても社会に出て実際に肌身で体験しながら改めて学ぶものさ。先生達にとっては、それ以前に子供達をまとめて日々成すべきことを成し遂げること自体が充分な専門職だ。

と言うことに気付かされた。A(^_^;)~

と言うか、逆に子供達の代弁をしよう。

「大人達よ、オレらナメんな」

だ(と思う)。

何故「教育」と「社会」を区別するのか、何故「子供」と「大人」を差別するのか。

私達は子供をナメすぎているんだと思う。

番組に出てくる人間の中にもガキレベルの発想しか出来ない大人もいれば大人顔負けの子供もいる。

世の中は確実に進化している、そしてそれに伴って異常な程のスピードで成長する子供もいれば、物質的な便利さに甘えすぎて精神的に退化しまくっている大人もウジャウジャいる。

子供達は世の中の秩序に慣れきっていない超パワフルなエネルギーの源達だ。それ自体は古代から変わらないが、今やその爆弾達は携帯電話やパソコンを持って「子供の王国」の中を生き延びる上でのツールとしてフルに活用している。

正に

「大人達よ、オレらナメんな」

の世界である。もちろん、子供達のそんな生意気な態度も古代からどこか変わらないところはあるとは思うが、現代社会と同様、そして現代社会の鏡のように、我々が子供の時よりもはるか恐ろしく、すさまじく加速している部分が彼らにあることを大人達もしっかり認識するべきだと思う。

番組で言っていた子供達の冷酷とも言える意見、
「いじめは無くならないと思う」
「いじめられている側にも問題がある」
「死にたければ死んだらいい」
と言う彼らの発言自体に問題があるのではない。むしろ問題は大人にあると認識するべきだと思う。それも先生だけではなく、父兄だけでもない、文部省だけでもない、我々大人全員だ。私達に受け継がれてき、引き継がせていく社会構造そのものが彼らのような子供達をリアルタイムに育て上げているのだ。

人のせいにばかりするのではなく、我々1人1人が自らの在り方を見つめなおす必要があるのではないだろうか?

と言うか、ここで暴露するが、日常の中で社会問題を人のせいにばかりしている番組評論家や新聞・雑誌の記事を見ていて

超うぜぇ

そんな冷めた眼で世の中を見ている子供達も決して少なくないように個人的に思うのだがいかがなもんだろうか?



広ブロっち♪ d(^-^)

2006年11月14日

新居

引越ししてから何かと全てにおいて遅れ気味。。。(汗;)

室内はまだまだ未開封のダンボール箱が連なっている。まぁ、永久的にではない、と自分に言い聞かせながら日に日に少しずつ減っていくのを見守っている今日この頃。

新居の駐車場には車検切れの車が居座っている。色々やっているうちに廃車のタイミングを逃してしまった。オォ、ウェル。。。買い替え時に相談にのってくれるのかな?どうだろう。。。

最近、国産○バ○車のことがやけに気になっている。。。

4日前から旧居で習慣になりつつあった早朝のウォーキングをジョギングに形を変えて再開。初日のみだが、事情もあって自分1人で庚午から横川駅まで走った。片道30分、と言う時間制限もあったのであれはソフトバンク的に(予想ガイに)かなりキツかったが何とかクリア、以降は軽い筋肉痛を抱えながらも結構ナイスな距離を2人で走る。

今朝読んだ一応面識はある全国的に有名な方のブログで久しぶりにグググッときた言葉。

神は細部に宿る

まったりした今日の投稿には似合わない言葉だが。。。

ボクもその店探し出してみせます(笑)。



広ブロっち♪ d(^-^)
広ブロっち♪ d(^-^)